せめて「幕引き」は自分で決められないものか。
緋色@Ninja+Copen@sophia36541
個人的な考えだけど安楽死が法整備されて現世からログアウトする時期を自分で決められるようになれば、景気は上向くと思うんだよな。
2019/04/20 11:20:39
いつまで生きるかわからないから、目標のない貯蓄が延々と続く。死なせちゃいけないから、自分の意志とは関係なく延命させられ巨大な医療費が使われる。
先日、こんなツイートを発出しました。
思うところは色々とあったのですが、この背景というか考えを語ろうかなと思います。
人はだれでも例外なく死に至るわけですが、いつ死ぬかはなかなかわかりません。
明日事故で死ぬかもしれないですし、実は余命○年の病にすでに侵されているかも知れませんし、
大往生でまだまだ何十年も生きる可能性もあります。
もう長くないと言われていた人が、予想外にずっと生きている場合もあります。
人生は終わりが決まらない。
だからスケジューリングが難しいんだと思います。
終了の見えないプロジェクトに対し、マイルストーンを置くことはできても、完了のマイルストーンを置くことができません。
だから、いつまでも予算は残して置かなければならないですし、多くの「バッファ」を持っておくことが必要になるんです。
ちょっと仕事っぽい書き方になってしまいましたが、
要するに「いつ死ぬか自分で決めることができれば、それに向けて準備ができる」ということを言いたいです。
安楽死が可能となったら、どうなるか。
もし安楽死が法整備されて、国営なのか民間なのか、安楽死を請け負う死の商人(笑)が成り立ったとします。書類の整備、第三者の合意(家族か、孤立した人であれば知人か、本当に誰も居なければ保証人を請け負う会社なんてのも発生するかも)を経た合意形成、日程調整、薬剤の調達、当日の処方・・・までが新たな内容だと思います。
遺体の処置以降の工程は今までどおり葬儀屋が請け負えば良いと思います。
当日立会が3名ほど、書類の整備・確認、事前説明や本人とのMTG、薬剤の準備と当日の実施など・・・とを考えると、価格は300~400万円くらいが妥当でしょうか。
まず、自分自身で何年の何月何日に死ぬかを決めます。
それに向けた準備として、遺書の準備をするのも良いですし、生前贈与に動いても良いと思います。
よく「オレが死んだらハードディスクの中身を消去してくれ・・・!」っていう冗談がありますが、自分がいつ死ぬかがわかっていれば、事前に自分の周りをキレイにしておくことが可能です。
次に、自分の死を知らせたい人に事前に連絡を取ることが可能です。
友人知人、今はSNSでのつながりがありますからそれである程度の拡散はできるかも知れません。
ですが、人にはいくばくかのナイショの関係ってヤツもあるでしょう。
そういった人にも、こういう機会に密かに連絡しておくことが可能です。
これが予期できない死だった場合は、お互いが亡くなったことを知らずに過ごす可能性が高いです。
そうして周知をした後は、大々的に「お別れ会」を開くのが良いと思います。
土日など人の都合が付きやすいタイミングで、盛大なお別れパーティー。
死を目前とした会ではありますが、死んでから開くお葬式とは違ってお別れ会なので、辛気臭くならなくなるよう、パーティーをしましょう。
最後のお別れを本人から実施できるのは良いことでしょう。
お葬式であれば葬儀屋さん任せの式になることが多いですが、この場合故人となる人はまだ存命なわけですから、本人の趣味趣向を凝らしたパーティーにすることも可能です。
「○○さん異世界転生パーティー」などと称してファンタジックな式にしても良いと思いますし、ここは腕の見せどころです。
こういった式を催すことで、最後に言っておきたかった、なんてな後悔をその後を生きる人に残す可能性を減らせます。
そして経済的なトラブルも生前贈与で防ぐことができます。
式が終わって楽しい気分のまま、主催は眠りにつき、薬が処方され、そのまま故人となります。
最高じゃないですか?
他にもこんなメリットがあると思っています。
・介護や年金など「国の予算を抑えられる」
長生きは悪いことではありません。が、人によっては「もうこの辺でいいや」と思う人もきっと居ると思うのです。
または、重度の病気などで生きること自体が死ぬよりも辛い人も居て、そういった人も治療の手を止めてしまっては医師が犯罪者になってしまうことから延命されます。そしてそれに莫大な医療費が使われます。
本人の意志を尊重することができます。
・自分で終わるタイミングを決められる
自分が認知症になってからとか、要介護になってしまったら、もうそれ以上は家族に迷惑を掛けたくない。自分はそう思ってます。
そうした場合に、そんな兆候が出始めたら安楽死を「検討」できる。それだけで、死を選ぶことができるだけで、生きることがラクになりませんか?
・貯蓄の計画が立てられる
今、毎月の貯蓄であるとか、投資であるとか、個人年金・確定拠出年金などが大変なのは、将来への蓄えのためです。
ただ、結局自分が何歳まで生きるかわからないから、みんな必死になって貯金をしています。
これが、例えば自分は70歳で死ぬこととする、と決めてしまえれば、じゃあ70歳まで必要なお金さえ貯めればOKとなります。
その場合、70歳で死ぬから仕事は40歳までしかやらない!みたいな人生の決めごとをしてしまうことも可能だと思います。
結局、何歳まで生きるかわからないからとりあえず定年まで働いているのが現状なんです。
・仕事の引き継ぎができる
今後定年の年齢がどんどん引き上げられていったとして、けどそれ以前に安楽死を選択したいとなった場合は、直前まで仕事をしている可能性もあります。
その場合、「オレ今年いっぱいで死ぬからー」ってことで事前に引き継ぎをしていくことが可能となります。
会社員であれば辞めている可能性も多いとは思いますが、これが会社役員だったりしたら、事前に引き継ぎができるということは大きな意味があると思います。
多くのメリットを語って来ましたが、デメリットはなんでしょうか。
・お金がかかる
やはりそれなりに工数の掛かる作業ですから、それなりに費用がかかると思います。
結果として、中流家庭以上じゃないと結局できないのでは、経済的にもうだめだとなった人の逃げ口にはならないんじゃないか、というところ。
・生命を軽視する傾向になるのではないか
「いつでも自分の意志で苦しみ無く死ぬことができる」となった場合に、人は「イチかバチか」の選択をしてしまう可能性が高くなってしまうのではないでしょうか。
例えば、可能な限りの借金をし、死ぬ費用は残しておき、残りのすべてをギャンブルにつぎ込んでイチかバチかを狙うとか、今まではやらなかったようなことを、安楽死が法整備された後は実施する人が多くなるんじゃないでしょうか。
失敗したら死ねばいいし。
死のハードルが下がる、とは、そういうことな気がします。
それが経済的なイチかバチかかもしれないですし、「あの子に告白してフラれたら死のう」くらいに考えて、本当に死んでしまう人も多くなってしまうかも知れません。
・自分で希望を言えない人はどうするのか
重度の身体障害者の方などで、自分の意志で死を選択することすらできない人はどうなるのでしょう。
「アイツなど殺してしまえ」という外的な強制力が効いてしまっては絶対にいけないとは思いますが、世の中の矛盾として残りそうです。
以上、今日考えたこと、でした。
いま現時点でスイスなどでは安楽死が認められていて、海外から渡航した希望者でも一定の手順を踏めば実施が可能という話を聞きます。
日本でも、生きることが死ぬこと以上にツライという人も少なからず居ると思います。
そうした人たちに逃げ先として用意することも一つの優しさではないでしょうか。
または別の観点として、日本では大昔に切腹という名誉を守る死に方というのも存在しました。
死を持って償いたいというほどの何かを背負った人に対し死に場所を用意してあげるというのも(絶対に他者が強制するものであってはなりませんが)ある意味日本らしいのではないでしょうか。
最後に、日本でこの法制が進まない大きな原因は、自民党の票田に日本医師会が絡んでいるからと勝手に考えています。
日本医師会はとにかく生きながらえて、寝たきりでも、意識不明でも、延命を続けていくうちは莫大な医療費を手にすることができます。
そのため、尊厳死・安楽死はそのまま減益に繋がるのです。
そこと政治とが複雑に絡み合っているうちは、議論はなされど実施には至らないと思っています。
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